永淵閑ブログ11 9対1

戦国時代のお百姓さんは、自分の土地を支配しているA殿様の城、あるいは砦が隣国B国の兵隊に囲まれ、戦争をしていても、すぐそばで畑仕事をしていた。お百姓さんの関心は、畑が荒らされないことで、どちらが勝っても関係ない、という気持ちだったようだ。このときの人口比は、お百姓さん9に対して殿様たちの武士は1であった。


つぎに明治維新であるが、黒船騒ぎの後、外国勢力に日本が侵略される危機に応じて立ち上がったのは、やはり1割程度だったのではないだろうか。ほかの日本人は、やはり畑仕事をしていたり、店商売を続けていたと考えられる。このときも、日本人の9割は、統治者については、あるいは統治者交代については、自分と関係ないことと考えていたのではないだろうか。


そして、2018年現在、やはり日本の統治者はA国からC国に代わる動きが活発化している。そのことを考えていたら、戦国時代の末期のエピソードをおもいだした。司馬遼太郎が何かの本で書いていたものである。カッテンディーケの回想録のなかで、長崎について驚いたという話である。長崎で一人の商人と話していたとき、「この町は小銃を持った水兵の四・五十人もいれば占領できる。そのときあなたはどうするのか」。すると商人はこたえた。「それは幕府のなさることで、私には関係がありません」と応えたそうである。


日本人は変わらない、という話でした。古代ローマ帝国時代のような奴隷制度がないからでしょうね。それは、精神的奴隷状態なのでしょうか。自主的自立なのでしょうか。どうでしょうね。

永淵閑ブログ10 30年後のセカイから現在を観る

ときどき、私の眼は30年後に飛ぶ。そこから現在の私や、日本や、世界を観る。
つまり、体験から観るのではなく、歴史から現在を観る。
ほとんど、夜明けに観る夢の中が多いのだが、バスに乗っているときも、歩いているときも、そういうことが起きる。


そういう眼で観ると、私は愚者だな! と実感する。
感情や欲望という主観的なレベルにある私がそこにはいる。
そこを脱すると、私は私の軍師になる。
どうしたらいいかが透明になる。


私のシゴトは明日を創ること、といっていい。
この明日には責任がある。
いまの私と同じ年代は、30年後、子どもたち、孫たちから猛烈な非難を浴びせられるだろう。
それは、彼らを待ちうける30年後は悲惨だからである。
それを生み出したのは、現在の60代、70代、80代である。


その責をわれわれ、いや、私は負うことになる。
つまり、そうならない未来をつくるのが私のシゴトである、と考えている。
そして、しっかり生きてしっかり死んでいく、それが日々の私でありたい。
24・10・2018

永淵閑ブログ6 日本一時帰国

この秋、目の手術と資料収集のため、日本にもどります。


今年の12月までの予定で、「IB紀行 第1巻」を書いていますが、取材と関係図書を購入することが大切な用事です。それがIB、つまり国際バカロレアの授業に影響します。よりよい授業を行なうためには、時間とお金をかける必要があるでしょう。


それに、親しき方々とお会いできる楽しみがあります。Kan