永淵閑ブログ10 30年後のセカイから現在を観る

ときどき、私の眼は30年後に飛ぶ。そこから現在の私や、日本や、世界を観る。
つまり、体験から観るのではなく、歴史から現在を観る。
ほとんど、夜明けに観る夢の中が多いのだが、バスに乗っているときも、歩いているときも、そういうことが起きる。


そういう眼で観ると、私は愚者だな! と実感する。
感情や欲望という主観的なレベルにある私がそこにはいる。
そこを脱すると、私は私の軍師になる。
どうしたらいいかが透明になる。


私のシゴトは明日を創ること、といっていい。
この明日には責任がある。
いまの私と同じ年代は、30年後、子どもたち、孫たちから猛烈な非難を浴びせられるだろう。
それは、彼らを待ちうける30年後は悲惨だからである。
それを生み出したのは、現在の60代、70代、80代である。


その責をわれわれ、いや、私は負うことになる。
つまり、そうならない未来をつくるのが私のシゴトである、と考えている。
そして、しっかり生きてしっかり死んでいく、それが日々の私でありたい。
24・10・2018